山中で語り継がれるツォウ族の歌声

文化

台湾原住民のウオン・ヤタウヨガナ(矢多一生 / 高一生)については以前から関心があり、また彼が書いた日本語の歌についてもアメーバブログに書いたことがあります。

高一生 台湾原住民による、美しい日本語の歌

ウオンの末娘、馬場美英さんのコンサートに行った時のことも、アメーバブログに残しました。

Taiwan Healing Voice & Bossanova

アバイ・ヤタウヨガナ(高英傑)さんをお迎えして

そんなわけで、 高一生の次男、英傑(アバイ)さんの来日講演を非常に楽しみにしておりました。今回は妹の馬場美英さんも会場においでになり、興味深いお話だけでなく、おふたりの歌も思う存分堪能することが出来ました。

「ツォウ族の歴史と文化、その歌声に触れる」

向かって右がアバイ・ヤタウヨガナ(高英傑)さん、左は聞き手の片倉佳史さん。

「台湾を学ぶ会」主催講演 

演題:「ツォウ族の歴史と文化、その歌声に触れる」

講師:アバイ・ヤタウヨガナ(高英傑)

聞き手:片倉佳史(台湾在住作家、武蔵野大学客員教授)

日時:2023年7月16日(日)18:30~

場所:東京都文京区民センター 3-C会議室

ツォウ族の集落と歴史

ツォウ(鄒族)とは

最初に、ツォウ族の集落と歴史についての説明がありました。

アバイ(高英傑)さんは達邦(タッパン)の出身。
お祖父様アバリさん

お父様のお話になる前に、まずはお祖父様のお話がありました。

お祖父様アバリさんは少年時代から大変賢く、日本人の間で生活する内に、すっかり日本語をマスターしてしまいます。そして、早坂徳四郎中尉にツォウ族の村を案内することになります。

原住民の中には、日本統治にはげしく抵抗した部族も少なくありません。霧社事件を起こしたセディック族の例は、その顕著たるものでしょう。そのような中で、ツォウ族は日本人に非常に協力的な部族でした。

ツォウ族の人々は今でも日本人のことを、「マーヤ」と部族の言葉で呼びます。漢人経由で日本人を知った他の部族が、漢語由来の言葉で日本人を呼ぶのと対照的です。

お父様はウオン・ヤタウヨガナ(矢多一生 / 高一生)

お父様ウオンもお祖父様同様、非常に優秀でした。原住民の子どもは「蕃童教育所」へ行くのですが、ウオンは日本人と同じ「小学校」へ入学します。そしてその後原住民として初めて、台南師範学校に進学します。その中でウオンは常に日本人以上に日本人らしい生活を送っていたのです。

和服を着ているのがウオン。日本人以上に日本人らしく振る舞っていました。
言語学者ニコライ・ネフスキーにツォウ族の言葉や習俗を教える

優秀だったウオン青年は、ロシアから来た言語学者、ニコライ・ネフスキーにツォウ族の言葉や習俗を伝えます。この時ウオンから聞いた事がまとめられ、後に「台湾鄒族語典」として発行されます。

二度の内地(日本)訪問

師範学校を卒業後、村の警察官そして教師となったウオンは、1931年に結婚し、実直に家庭を築いて行きます。また、1940年(昭和15年)に、二度の内地(日本)訪問をし、(11月には天皇陛下にも謁見しています)日本人の勤勉さが日本の発展につながっている、と考えたウオンは、ツォウ族の村にも日本の習慣や文化を積極的に取り入れて行きます。

音楽との出会いと、ツォウ族の文化継承

日本人以上に日本人になろうとしたウオンですが、ツォウ族としての誇りや文化を忘れた訳ではありません。日本の文化を取り入れ、近代化していく中で、なんとかツォウ族の文化を継承して行く道も考えていたのでした。それが音楽だったのです。

ウオンが音楽と出会ったのは、台南師範学校時代でした。その頃から創作をしていましたが、蕃童教育所で教師をしている時に、こどもたちと一緒にさくさんの作品を手がけています。それらは日本語で歌われると同時に、部族の言葉で、部族の生活や風景や文化を歌ったものもありました。

テンポが良く楽しい歌。ツォウ族の狩りの様子が分かります。

これは教育所の子どもが作った歌だそうです。
日本語とツォウ族語が混在している歌

228事件と白色テロの時代を、「原住民目線で振り返る」

今回は、228事件と白色テロの時代にお父様が経験されたことを、そのご子息であるアバイさんからお聞きするという、貴重な機会に恵まれました。またその時代を、「原住民目線で振り返る」という、新しい着原点を持つことも出来ました。ただ、それは、お聞きしながらも胸が苦しくなる、辛いことでもありました。ここではごく簡単にまとめます。

高一生と228事件について詳しく知りたい方は、酒井充子さんによる記事が参考になると思います。リンク先をご覧ください。

父からの手紙―白色テロを生きた家族

こちらは台湾民視台製作の番組です(中国語)

「日本人」矢多一生として行きたウオン・ヤタウヨガナは終戦後、高一生という「中国人」になります。高一生となってからも公務員として、誠実に職務をこなしていました。

228事件勃発

そんな中である日、かくまった人物が国民党から共産党員に寝返り、大陸に逃げて行きます。このことがきっかけとなりウオンは逮捕され、そして1954年4月17日銃殺刑に処されたのでした。

獄中から妻に書いた歌「春の佐保姫」

阿里山の沼平公園にはウオン(矢多一生 / 高一生)の記念碑、歌碑があります。「春の佐保姫」は獄中から妻を想って書いた、日本語の、美しくも切ない歌です。

これも獄中で書いた歌だそうです。
こちらはまだ逮捕される前の作品。「春の佐保姫」の切ない重さよりも、もっと甘い浪漫な感じがします。

今も歌い続けられる、ツォウ族の伝統歌謡

ウオン・ヤタウヨガナ(矢多一生 / 高一生)が守ったツォウ族歌謡の数々は、今も山中で歌い続けられています。今回、「アナナシ アナネ」という合いの手が入る歌を、末娘の美英さんが伝統的な歌謡、次男アバイ(英傑)さんが現代的なものを披露してくださいました。

青年を讃える伝統的な歌謡をアバイ(英傑)さんが披露してくださいました。この曲は長い間忘れられていたのですが、ある時から復活したのだそうです。

美英さんが歌ってくださったのは、ツォウ族シャーマンの歌。これは女性しか歌わないものだそうです。

向かって右がアバイ・ヤタウヨガナ(高英傑)さん、左は妹の馬場美英さん。

ウオンの孫や親戚には有名芸能人も!

高慧君や、「マダム・ヤン」の湯蘭花

白色テロの犠牲者に対して不謹慎かと、あまり声に出して言ったことはなかったのですが、ウオンってとってもイケメンだと思います。御夫婦の写真もありますが、妻の春子(高春芳)も美人です。今回、アバイ(英傑)さんや美英さんを見て思ったのですが、おふたりともご両親に似て美男美女ですね。そういうわけで、ウオンの芸術的な才能や聡明さとともに、美貌も受け継いだお孫さんや親戚には現在活躍中の芸能人もたくさんいるんですよ。

私にはまず、孫の、女優で歌手の高慧君が思い浮かびます。大好きなバンドMary See the Future先知瑪莉の印象的なMVに出演していたので知りました。ショッキングですが感動的な内容です。

衝撃的かつ感動的なMV Mary See the Future 先知瑪莉「Cheer」

Mary See the Future 先知瑪莉の記事一覧

それから、今回知ったことですが、湯蘭花はウオンの妻、春子の姪なのだそうです。若い方はご存じないかも知れませんが、1980年代に「マダム・ヤン」という中華麺のコマーシャルが流行っていて、それに出演されていた女優さんです。正式なものではないのでリンクは載せませんが、YouTubeではそのCM映像や、「徹子の部屋」に出演した時の動画などを見ることが出来ますよ。

こちらは公式サイトなのでリンクを載せます。台湾のキリスト教系テレビ局「好消息電視台」に出演された時のものです。

離婚や事業の失敗、信仰についてのお話とともに、ヒット曲の数々を聴くことが出来ます(中国語)

こちらも同じ頃の番組ですね(中国語)

高慧君も湯蘭花も大変美しい人で、そしてどことなくウオン・ヤタウヨガナ(矢多一生 / 高一生)の面影がありますよね。

アバイ・ヤタウヨガナ(高英傑)さんがNHK朝ドラ「らんまん」に出演!

そうそう、アバイ(高英傑)さんは、NHK朝のドラマ「らんまん」にゲスト出演されるそうですよ。どんな内容なのか、今から楽しみですね。

まとめ

講演では、ウオン・ヤタウヨガナ(矢多一生 / 高一生)が行った原住民自治運動の概念など、色々興味深いお話がありましたが、ここにうまくまとめることが出来ませんでした。

つたない内容になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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