エリ&ラパイ 在日原住民二世の歌とトーク

エンタメ

日本×タイヤルのエリ、日本×パイワンのラパイ

シンガーソングライターのエリ・リャオさんと、台湾で医師をする傍ら、音楽活動もしているラパイ・ルピリヤン(米田太華志)さんの、共演。

向かって右がエリ・リャオさん。左がラパイ・ルピリヤン(米田太華志)さん

Eri Liao & 米田太華志 / Lapai Ija Lupiliyan

 歌とトーク「原住民(yuan-zhu-min)・私」の夕べ

出演 : エリ・リャオ、ラパイ・ルピリヤン、ファルコン(ギター)

日時 : 2023年7月22日(土)16:30開演(15:30開場)

場所 : くまから洞(東京都中野区野方6-40-19)

主催 : 「台湾先住民二世と集う」実行委員会

協賛 : 台湾原住民との交流会

第一部 歌
エリ・リャオの歌

まずエリさんの歌。タイヤル族伝統の歌やオリジナルの曲を披露して下さいました。伸びやかで力強い歌声です。エリさんのタイヤル族の歌を聴いて「本物だ!」と言った人がいるそうなんですが、いやいやタイヤル云々ではなく、エリさんの歌声そのものが「本物」です!

ギターはファルコンさん。この方の演奏にもいつも聞き惚れてしまいます。

ラパイ・ルピリヤンの歌

その後、ラパイさんが、ギターを弾きながら何曲か歌って下さいました。会場にいたご家族と一緒に踊ったりと楽しいものが多かったですが、最初に歌った日本語の歌にはしんみりとしましたね。「春の佐保姫」。これは、台湾原住民族ツォウ族で白色テロの犠牲者、ウオン・ヤタウヨガナ(矢多一生・高一生)の作品。獄中から妻に書いた、美しくも悲しい歌です。ラパイさんの弾き語りも胸に迫るものがありました。今回は動画撮影NGだったのでここで紹介出来ず残念です。

山中で語り継がれるツォウ族の歌声

お母様(向かって右から二番目)やお姉様も飛び入り参加。
第二部 トーク 

今回はアイデンティティーに関する話はしない、ということだったのですが、やはり出自の話は避けて通れない、という印象でした。

司会の安場さんを中心に、興味深いお話をお聞きすることが出来ました。
エリとラパイの出会い

ある時から、エリさんのライブに、なんとなく場違いな青年が来るようになります。最初は不思議に思っていましたが、だんだん会話をするようになって、彼も自分と同じ日本人の父親と、台湾原住民の母親を持つという共通点があることが分かります。これがふたりの出会いでした。それから親しい友人となり、アーティストとしてもいくどか共演をしているのだそうです。

エリさんのお話

今では普通に受け入れてもらえているそうですが、エリさんが初めて日本の友達に、自分が原住民であると打ち明けた時、とても驚かれたそうです。また、プロフィールに原住民である、ということと同時に学歴も載せているのは、一種の「魔除け」ということです。

エリさんのお母様は、日本に来たはじめの頃は、ほとんど日本語が話せませんでした。でも、苦労している姿を子どもに見せるようなことは決してなかったそうです。いわゆる普通の日本の学校に通っていたエリさんですが、お母様は、エリさんの成績が良かったことから、「あの優等生のエリちゃんのお母さん」というように受け入れられていたそうです。

エリさんが音楽を始めたのはアメリカ留学時。最初はジャズを歌っていたのですが、台湾出身だというと、台湾の歌を求められたそうです。それは日本で音楽活動をするようになっても同じで、だんだんとタイヤルの歌を歌う機会が多くなっていったそうです。でも台湾の親戚たちにとって、エリさんは「日本人」。そんな親戚たちも、エリさんのCDを聴いて、「おばあちゃんの声に似ている」と懐かしがったのです。そんなエリさんのおばあちゃんは日本語世代の人です。日本語や日本人には特別な思いがあります。そこが台湾であるのにも関わらず、エリさんに和服を縫って着せたそうです。もっともその和服は、台湾の花柄の布に金ラメの帯だったりしたのだそうですが。日本語とタイヤル語が分かる孫は特別な存在だったようです。

さて、エリさんが日本で最初にライブをする時に、「エリ・リャオ」を名乗ることには悩んだそうです。日本の姓もあり、日本にいると皆、日本語を話すエリしか知らないけれど、もっと「ニュートラル」な状態にしたかったのだそうです。今では「エリ・リャオ」が自分であることに慣れたそうですが。

エリさんの作品、生活や考え方についてよく分かります

note : Eri Liao / エリ・リャオ

ラパイさんのお話

日本生まれですが、母方の祖父母からパイワン族の歌を聴かされて来たそうです。自分が原住民だと思うのは、その歌の記憶があるからです。最初はその歌が原住民のものであるとは分からず、他の台湾人に聞いても分かってもらえず、だんだんとそれが原住民のものであるということを理解していったのだそうです。

エリさんが、いわゆる普通の日本の高校に通っていたのに対し、ラパイさんは中華系の国際学校で高校時代を過ごします。その頃には、自分が原住民だという自覚はありましたが、家では、全然原住民らしくないと言われたそうです。パイワン語の歌を歌っても、「本物じゃない」と一蹴されました。また、一年前に台湾国籍を取った時から原住民名を名乗っているのですが、台湾でも原住民には見られないことから、毎日、毎回、逐一説明をするのだそうです。

ラパイさんのお母様、華絵さんも、エリさんのお母様と同じく、苦労している姿を子どもに見せることはなかったそうです。また、華絵さんは都会育ちなので、あまり原住民のアイデンティティーについて考えることはありませんでした。そんな華絵さんからは、ダブル・スタンダートなことを言われていました。母方の曾祖父は賢い人だったので、自分もその曾祖父のようになれ、と言う一方、原住民という出自はよく思われないから、あまり人に言わない方が良いということです。

もうひとつ、印象的だったお話があります。ラパイさんの大叔母さんは、日本に特別な思いがあった人でした。その大叔母さんが亡くなった時、大叔母さん懇意の人で、でもラパイさんには見知らぬ人であるその日本人に、電話で訃報を伝えると、相手は号泣したのだそうです。

まとめ

今回は、いつも素敵な歌を聴かせていただいているエリさんの深いお話、そしてお母様の華絵さんとは親しくさせていただいているものの、やはりアイデンティティーに関わることなどは知らなかったラパイさんのお話も聞くことが出来、濃い時間を過ごすことが出来ました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

このブログはお名前ドットコムでドメイン取得、サーバーレンタルして運営しております。

インターネット回線はソフトバンク光を使っています▶️

セキュリティー対策にはウイルスバスタークラウド▶️

台湾のホテル予約はTrip.comから

台湾現地ツアーはMy Taiwan Tour

コメント

タイトルとURLをコピーしました