台湾系華僑、簡憲幸さんが案内する歌舞伎町ツアー
以前から興味があった、簡憲幸さんの歌舞伎町ツアーに参加して来ました。総勢16名となかなかの大賑わい。楽しいツアーとなりました。
新宿 歌舞伎町
「歌舞伎町」という名は、戦後、石川栄耀らによって「歌舞伎の演舞場の建設」という復興事業案がまとめられたことに由来します。しかし財政難で計画は頓挫。その後、「歌舞伎町」という名前はそのままに、その600メートル四方の街は、映画館・劇場・飲食店・性風俗店などが混在する「不夜城」として発展していくこととなります。その発展には多くの華僑華人の活躍がありました。
花園神社に集合
2023年5月12日(金)18:30、花園神社に集合。

東京大飯店
花園神社から、客家人の李合珠が1960年に開業した高級中国料理店、「東京大飯店」前へ移動。(現在工事中)。当時中華料理店としては日本一の規模でした。今では、「中華料理屋」へ行けば中国各地の料理が当たり前のように出されていますが、ひとつのレストランで北京、上海、広東、四川の四大料理を始めて提供したのが「東京大飯店」だったのだそうです。
李合珠は、1920年に客家人が多く住む台湾桃園県に生まれ、1940年に来日。早稲田大学と中央大学を卒業後、池袋で麺類の販売やパチンコ屋を始め、その後新橋と有楽町にショーパブを開業、その後新宿に進出し「東京大飯店」を開業しました。
当時の大卒とは、エリート街道まっしぐらだったはずです。日本人的発想からすると、エリートが決して選ばない職業、商売に手を染めている人たちが華僑華人には多い印象があります。色々な理由があるのでしょうが、その理由のひとつとして、華僑華人は日本人とは違って、成功するためには手段を択ばない、反骨精神というのがあったのでしょう。李合珠もそのような華僑魂から財を成したひとりだったのです。
簡憲幸さんはこの「東京大飯店」で結婚披露宴を挙げたそうです。私も、会社の忘年会のような大きな宴会から個人的な会食まで、よくお世話になっていました。

ゴールデン街
コロナ禍もようやく収束に向かい、賑わいを取り戻して来たゴールデン街。外国人観光客、特に欧米人に人気のある街ですね。
かつて公娼制度があったころ、それは「赤線」と呼ばれ、非合法の地域を「青線」と呼んでいました。ゴールデン街は「青線」として発展し、1958年の売春防止法施行以降は、1984年に風俗営業等取締法が強化されるまで、ぼったくりなども横行する、混沌とした飲み屋街でした。
今では100パーセント明朗会計、健全で安全な飲み屋街となっています。



風林会館
昔から変わらない姿でそびえる風林会館ビル。歌舞伎町のランドマークとも言える総合レジャービルです。1967年に林再旺が創業しました。昔と変わらないというのは、私からすると懐かしさや安心感がありますが、そこには権利関係が複雑で建て替えをするのが難しい等、色々な問題があるようです。また、「安心感」とは程遠い、表には出てこない殺傷事件等も多々あったのだそうです。もっともこのビルにある喫茶店「パリジェンヌ」で2002年に発生した事件後、歌舞伎町全体の治安は大分よくなっているようです。

台湾同郷協同組合ビル
このビルを見ると、歌舞伎町と台湾華僑華人との縁の深さを感じますね。

アシベ会館
1968年黄萬炭によって創業されました。これもまた華僑的発想から生まれた総合レジャービル。地下のライブハウスでは、その日もライブが催されていました。


地球会館 ヒューマックス
林以文は1913年台中県生まれ。中央大学卒業。人工甘味料「ズルチン」の販売で財を成し、1947年に「ムーランルージュ」を再興。翌1948年に歌舞伎町で初の映画館「地球座」を開業、1958年に複合娯楽施設「地球会館」を建設しました。ホテル、レストラン、ゲームセンターなどレジャー関連事業から不動産まで幅広く展開する恵通グループ、現在の「ヒューマックス」の会長を務めていました。

その他の華僑
スマイリー小原のオーケストラが華麗な演奏を披露し美人ホステスが多く在籍していた「クラブ・リー」や「リービル」の利騰山、「王城」「メトロビル」の方元俊、そして台湾嘉義県出身で1948年に中交総社(後の日清食品)を設立した安藤百福(呉百福)も、外せないですね。


日本人の所有する建物が新しく生まれ変わっているのに対し、自分の権利主張が強い華僑華人系の物件は時が止まっているような感があります。古い建物が残っていることに懐かしさを覚える一方、老朽化は心配でもありますね。
思い出の抜け道(センター街)の台湾料理屋「叙楽苑」
歌舞伎町を一時間ほど歩き回った後は、打ち上げです。風林会館の裏手にある、怪しげな路地「思い出の抜け道」(新宿センター街)。ここも1994年には物騒な事件があった場所ですが、今は安全な飲み屋街になっています。

以前から行きたかった台湾料理屋「叙楽苑」に行くことが出来、とても嬉しかったです。このツアーの打ち上げに「叙楽苑」に行くと聞いて、とても楽しみにしていたのです。

この階段を上がるとアットホームな「叙楽苑」です。

あろうことか、楽しすぎて、料理の写真を撮るのを忘れてしまいました。その日は客家人である「東京大飯店」の創業者、李合珠さんに因んで、客家料理を楽しみました。娘豆腐や梅菜扣肉(ご飯に合う)などなどですね。

簡憲幸さんとお父様の簡水波さん
客家料理と生ビールを味わいながら、本日の案内人、簡憲幸さんから、お父様の簡水波さんのお話を聞くことが出来ました。
簡水波さんは1925年台湾宜蘭に生まれ、戦争中は日本人として従軍しました。BC戦犯として服役後呉湾に上陸。その後数々の苦労をされましたが、1960年にタクシー会社「ペンギン交通株式会社」を設立、事業家として成功し、在日華僑華人のリーダーとして活躍されました。李登輝総統の最後の総統選では、日本の華僑を代表して選挙運動に駆け付け、世界華僑の総団長として先頭に立ちました。華僑各界の交流も深く、読売巨人軍の王貞治、歌手のジュディ・オングらとは家族ぐるみでの交流があります。また以前から中国大陸側の華僑、台湾独立を支持する華僑の方々とも親交をもちつつ、台湾と日本の交流に尽力して来られたそうです。

最後に
歌舞伎町に台湾系華僑華人が関わっているという話は知っていましたが、実際の華僑の方にお話しをお聞きしながら巡るツアーはとても興味深く、印象に残りました。この記事は、簡憲幸さんからいただいた資料を基に、一部ネットなどで調べて書いています。もし、間違いなどございましたらお知らせください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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